【雑記】今後の「葬儀観」と理想の最後

昨日祖母の葬式でした

祖父が亡くなったのは私の高校生の頃だったので

葬式自体久しぶりのものでしたが(そう頻繁にあったら困りますが)随分変わったのかなと思いました

 

家族葬という形の簡易的なものでしたが、火葬場が併設された公営の施設で1時間ほど読経した後、遺体を火葬、昼食を食べながら待ち、納骨、終了という流れ

言葉は悪いですが一連の作業は流れ作業のようにスムーズで、全体でかかった時間は4時間程度でした

祖父の時は自宅で葬儀をした為、もっと一日いっぱいかかった仰々しいものだったと記憶しています

参列者、お坊さん用のも含めて椅子も用意されていて、参列者の多くのお年寄りの方にも不自由ないような配慮がなされていました

式自体は非常に良いものであったと思います

 

会社でスーツ着て課長をしているといわれてもわからないようなふさふさの髪をやんわり七三にしたお坊さんと、明らかに息子であろうよく似た20代前半くらいの補佐のお坊さんの低音が効いた南無阿弥陀仏を聞きながら、ふと自分の葬儀の時はどうしようかと考えていました

 

家的には一応浄土真宗という体のようなのですが、私自身の考えは無宗教に近い

まあ多くの人と同じように初詣に神社に行ったり、出先の立派なお寺で手を合わせたりする程度の「なんちゃってお参り」はするのですが、なんというか気分というかイベントごとというか極楽浄土も仏陀の教えも全く意識しない。その程度の宗教観です

信仰というより言葉で言えば尊敬とか昔から多くの人に大切にされてきたものに対する畏怖の念と言えば近しいでしょうか

 

そんな感じですから、自分が同じようにこんな感じで読経されるのは若干抵抗感がある

だって普段お参りとか全くしてないのに死んだときだけ、

「私極楽浄土に行きたいですお願いしますお釈迦様」

って言ってもお釈迦様が「うん、いいよー」って言うだろうか?

お釈迦様ほど人間的に成熟していない私なら

「貴様何こんな時だけ超都合のいい事言ってるんだ。死ね、死んでるけどもう一度死ね」

とガチギレしているんじゃないかと思います

 

最後の冗談はさておき、親世代はともかく私世代以降では似たような宗教感というか「なんちゃって仏教徒」みたいな人、多いのではないかと思います

葬儀は故人の遺志が尊重されるべきだと思っているので、今のお葬式のあり方を否定するつもりは全くありませんが、今後葬儀のやり方というものが大きく変わっていくのではないかと思います

少なくとも葬儀と聞いて頭に思い浮かぶようなテンプレ的な仏式葬儀は今後減っていくのでは?と思いました

喪主の父親から聞いた話では、お坊さんに支払った費用だけで50万円以上したらしい

知識がないですが戒名っていうんですか?お坊さんに名前を付けて貰ってお寺の本尊に奉納するだけで20万円以上とのこと。まじかよお父さま

読経自体に全く意味がないとは言いませんが、亡くなった方に思いをはせる儀式に対しての費用という点からしたら私の感覚ではいささかかかり過ぎなように感じます

お寺関係者の方がご覧になられていたらほんとすみません

 

最近は一部では、火葬後の骨を海に撒く海洋散骨や墓石の代わりに木を植える樹木葬、ロケットで宇宙空間に散骨する宇宙葬なんてのもあると聞きます

教育観、結婚観、仕事観。日本の伝統的な枠組みというのが徐々に変化しつつある中で宗教観、葬儀観もこれから大きく変わっていくのではないかと思いました

守るべき伝統もあると思いますが、そればかり押し付けられても生きづらい

こんなこと葬儀中に考えていたらバチが当たりそうですが

あ、これも宗教観か

 

ちなみに私が考える理想の葬式は満面の笑みでダブルピースした私の写真を肴に、友人家族でおいしい食事と酒を飲みつつ、クライマックスではH2ロケットで遺体を宇宙空間に吹っ飛ばして欲しいですかね

皆さんの理想の最後は何でしょうか?

 

ではでは